父と私
娘の恵子からおじいちゃんが昨日なくなったとの電話をアメリカに伝えてきた。
年の瀬の12月28日2001年。父は99歳であった。
介護婦に付き添われて湯に入っていてそのまま永眠したとのこと。
介護人が気がついた時は体が冷たくなっていたとのこと。即病院に担ぎ込まれたが
そのままになった様だ。
恵子はおじいちゃんにあいたいとしきりに言っていたが養老院だったら行ってもらうのであった。
以前に父より便りがあってそこに今日は恵子ちゃんが来てくれましたとあったのを思い出す。
冬のダラスは忙しい。家には大木があって11月は1種類の落葉で12月は片方の落葉が
ありその清掃が日課になっていた。 そこへもってきて裏のだいぶ傾いている木の塀のそばに
藤の蔓があり2ー3年前から花をつけはじめた。
塀を立て替えると藤の木も駄目になりそうなので春になる前に棚を作ろうと思い立った。
材木を買ってきて塀の内側に立てる。八本の支柱でてっぺんに渡しを材木と自分家に自然
にはえた枝の長いものを棒にしてそれを支柱の上に載せて一応の棚となった。
後は飾り的な渡しを追加しようと思っている。そうこうしているうちに塀の外にも藤が伸び
ようとしているのでその事も脳裡から離れずにいたところハタと塀の外にも棚を造ると考えた。
朽ちた塀は其の侭残すことにした。
塀の外は5フィートばかりの芝地で其の外が車一台分の幅がある裏道である。
隣り近所の塀は我が家の塀より2フィート半ばかり裏道寄りに出ている。
それより少しばかり内側に寸法をとり朽ちた我が家の塀の外にも外の藤棚を造ることにした。
一切金を使わないことと決め庭に甦生した木の幹や前から残されていた材木を利用して
外藤棚の増設に入った。
この藤棚は我が父に捧げる藤の棚と命名することにした。 父の兄は大工で戦後自分で
自宅を建てたと言う。 其の家に幼児の頃行ったことがある。 それから東金に叔父さんが
父を訪ねて来たことがある。しばらくして叔父さんは亡くなった。
父も大工仕事がすきであった。 住み込み人の為の6丈間をあっと言う間に一人で増設して
しまった。
私も大工仕事は好きで柏のベランダや流山の2階の物干台など造ったことがある。
大工道具も必要な物は惜しげもなく買い集めた。
話は変わるがアメリカの名優ハリソンフォ-ドも大工仕事(Woodwork)が好きで
Wisconsin州に自分で家をたてたとのことです。因みに彼の年は私と同じです。
塀の内側は一応の棚ですが外がは出来るだけ風流に仕立てました。
裏庭の道路の向こう側に住んでいる犬の散歩人でいつも小さな2匹を連れて私が棚の構築
をしている傍らをとうりぬけていく。 彼女には多分私が何を作っているのか分かるまい。
しかし花が咲けば分かるだろう。 それまで待とう。 何も言わなくても犬がよってくるので
だんまりも許されない。せいぜいハロー程度の会話でいつもすました。
年も明け1月31日にダラスを立った。娘の恵子の所に厄介になる。墓参りに2月4日に東金
へ行った。元々アメリカに来ることになって親の死に目には会えないと諦めと覚悟とをしていた。
約一ヶ月ほど日本に滞在してダラスへ戻った。 ダラスの3月はもう暖かい。
4月の3日に藤の花がはじめての棚の上で零(こぼ)れ落ちんとばかりに咲いた。
父よ安らかに眠ってくださいと藤の花の下で祈った。
しばらくして2002年にボッブホープが亡くなった。ボッブと父とは同じ年であった。
鍋島卓 作 1月8日2004年