熊ちゃん



東金に来て2年後 卓は小学校3年になっていた。町には進駐軍の戦車やトラックが
走り出した。静かな田園の中にある町の昔ながらの商店街の軒をかすらんばかりに。
振動で軒が揺れている。トラックの後ろに長い筒の大砲の発射台を後ろに牽いている。
戦車は深く大きいベルトのあとを道路に刻印した。削られた破片が無造作に散乱した、
トラックがその上をバリバリと音を立てて走っていった。
兵隊が子供らにチュウインガムやチョコレートを轍(わだち)の後に向けて投げていった。





米兵が九十九里浜の綺麗な砂浜で遠浅(とうあさ)の海岸で太平洋に向けて実弾の
演習をやっているという噂であった。事実東金まで二里(約10km)ほど離れているが
大砲の音がドンドンと聞こえ50メートルの高さがある丘の上に登ると海は見えないが
大砲を撃ったあとの大きな硝煙が花火の後の様に見える。音はすぐは聞こえないが
しばらくしてから聞こえてきた。 硝煙(しょうえん)を見てて「今撃った!」それから耳を
清ますこと数秒か経ち海からの風に乗って「ゴオーン」と聞こえてきる。

1時間ほど見ていたか山へ登ってきた町の人達が引けだした。切り立った丘の絶壁を
細い道に丸太で滑り止めを2-3歩ごとに埋め込んである。急な山道を麓(ふもと)の
寺までおりる。そこは竹薮が群生し縞々の藪蚊の生息地である。そこを抜けると寺の
墓地が拡がっている。年をとった人は「ヤレヤレ」と言いながら急勾配の山道を足を
がくがくさせて降り休む暇も無く急襲してくる蚊を払いのけた。平らな水はけのよい墓地に
降り立った。

去年遠足で見に行ったあの遠浅(とうあさ)の海岸で浜のおばちゃんたちが皆で何か歌い
ながらゲラゲラ笑ったりして網をひっぱて鰯(いわし)を獲っていたあの海に大砲の弾が射ち
込まれて魚はどうなるのかと卓はふと思った。

夕方になると兵隊が若い日本のおねいさんを連れて街を歩き出した。おねいさんたちは髪に
パーマをかけ茶色にし赤いハイヒールをはいて闊歩(かっぽ)していた。

道路には昼間戦車が残した轍(わだち)の跡が深く、抉れて(えぐれ)くっきりと残っていた。
その兵隊達が30人ほどこぞって卓の銭湯へやって来た。カーキ色の幌を付けたトラックに
乗り集団でやって来た。卓の母ちゃんは驚いた。しかし驚いているだけではいられなかった。
連中は銭湯に入るのは初めてであるらしい。先ず履物からそうだった。兵士のでっかい網靴
を履いたまま脱衣場に板の間といえど堂々とあがってきたのだ。

母はびっくりこいて番台から跳ねるように降りた。一人の背の高い大男の腕を引っ張って店の
外へ勇敢にも連れ出した。そして先ず靴を指差し脱ぐ真似をして「靴はここ」と下駄箱を
開けて指差した。靴を脱がし下駄箱へ入れた。一人が理解すれば米兵はそのさまを日本人
と比較にならぬほどよく見ているから皆が右に習えであとの者(もの)は何もしないでも良い子
ぶってくれるからオーケイである。 ついで脱いだ衣類も籠に入れるのも同じ要領であった。

次は湯船に入ってその中で石鹸を使い出したのである。母ちゃんは又もやびっくりして洗い場
に入ってゆき湯船の外で洗えと裸の大男相手に手まね身振りでやりのけたんですから明治
生まれの女の気丈夫さには兵士も「YES 」(はい)と言うのみ。その翌日からは母ちゃんの
教えたとうりのお作法よろしく湯を取るようになった。日本の風呂を気に入ったかそれから
一ヶ月ほど毎日米兵が来た。

翌日からお店の入り口にはジープに乗ったMP(エムピ MILITARY POLICE)が二人必ず
同行していた。二人は葉巻を燻(くゆ)らしながら兵隊が風呂を終わるまでジープの中で待って
いた。風呂が終わるとさっぱりしてジープを先頭にトラックで真っ暗けの道を九十九里浜へと
戻っていった。


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4月の東金は花見の町になる。それは八鶴湖(はっかっこ)と言う池が城山のふもとにある。
その池の周りに桜がうめられていてぼんぼりがともされ昼夜桜の見物が出来た。15日の夜
になると花火大会が挙行されて「ナイヤガラの滝」と称して池の左右を火の橋でつなぐ仕掛け
であった。他に娯楽もなかった時なので池の周りは見物客が一杯で歩くのもやっとであった。
  池の周りの唯一のラムネ屋では四六時中「バッテンボー」* のレコードがかけっぱなしで鳴って
いた。ボート屋兼ラムネ屋のおにいさんが好きな曲だったんだろう。 

*(米PALE FACEの主題歌 ボッブ ホープ唄)

同じく八鶴湖の反対側の入り口辺(あた)りに住んでいた熊ちゃんと同じクラスになった。
熊ちゃんは名のとうり色は日に焼けてちょっと赤黒くて背は低く丸い顔は何か濡れているように
湿った感じがした。担任は女の倉田先生で熊ちゃんを卓の隣に座らした。熊ちゃんはいつも
ニコニコと笑っていた。

熊ちゃんと学校の帰り「ここが僕の家だよ」と彼が言った。彼の家は食堂をやっていた。
彼の小さいがずんぐりした手のまねきで店の中に入るとおじさんが調理場から出てきた。
おじさんは彼とよく似ていた。年は老人の様な感じが卓にはした。 熊ちゃんもその
おじさんとそっくりで老人を小さくした様だった。 おじさんが「何か食べていくかい?」と
言うので天丼をつくってもらい食べた。それは海老とご飯とたれがとてもおいしかった。
ご飯のお代わりをしたいぐらいだった。

ある日 熊ちゃんと映画の話になった。卓の家である風呂屋にはいつも映画のポスターが
入れ替わり貼られていて片岡知恵蔵主演の「三十三の足跡(1948・12)」とか上映する
題目が貼られていた。

そこでその映画が見たいなどと熊ちゃんと話をしていたら「行こう」ということになった。
「お金は要らないよ」と熊ちゃんが言った。 「え どうして」卓は聞いたら「うちのお父さんが
映画館で働いているから」と熊ちゃんが答えた。じゃ食堂であった人はおじいさんかと卓は
思ったがよく分からない。

東金には西福寺とその上の進駐軍の演習を見るのに登った丘の他の降り口の空き地に
映画館があった。「ダイヤモンド」と言う名前で戦後の娯楽の一つとしてパチンコ屋などと
同じくらいの時期に出来始めた。パチンコ屋にはいると学校で怒られるが映画はそういうことは
無かった。

小学校2年の時に都会風の女子が転校してきた。髪の毛が長くてパーマでカールされていて
スカートをはいていた。ある時教室の床を掃除をしていた。その子はダイアモンドの子だと誰か
が言っていた。卓はその子の後ろからそっとちかよって行って「君をたたいて僕失敬」と言って
お近ずきの挨拶をした。彼女は「え!」と一瞬驚いた様子からすぐ笑って見せた。
彼女とは3年生になってクラスは別になったみたいだ。

さて映画は熊ちゃんとである。 熊ちゃんと一緒に映画館へ行くことになった。熊ちゃんが何時も
やっているんだろう姿で受付の人にニコニコしてからそのまま更に館の奥へと入っていった。
卓も一緒に入っていった。内ドアを開けず奥まったところへ行き木の階段を上がった。熊ちゃんを
先に階段を登ると軋む(きしむ)音がした。登りつめるとドアがあった。そこを熊ちゃんはなれた
雰囲気で開けた。

中は映写室でいくつかのテーブルと部屋の真ん中には不思議な格好をした映写機が立っていた。
映画館は東金に来る前に東京の向島で入ったことはあったがその舞台裏は始めてであった。
卓は熊ちゃんてすごいんだと思った。卓の知らない世界を持っているんだと感心したからだ。

裏でそれを見ているときに映写機が故障した。部屋にいたおじさんが何か口でぶつぶつ言い
ながら映写機の真ん中を開けた。機械の中から何かの端をつまんで映写機の横にあるテーブル
へ引っ張り出し他の端も引っ張り出して両方を並べて透かしてみてその端を多少余してはさみで
切り出した。そして切った両端を熊ちゃんに渡した。残った長い方をお互いに何かで接合しだした。
おじさんはそれを又機械に取付けた。何かスイッチを入れてマイクで「お待ちどうさまでした。映写
を開始します。」といって映写機をうごかしはじめた。熊ちゃんが切れ端を卓に渡した。おじさんが
したように卓はそれを透{す}かして見た。いくつもの絵が写っていてみんな同じ絵がそこにはあった。
その左右には小さい穴が空いていた。熊ちゃんが「下に行こう」と言った。再び階段を下りて館内に
入った。片岡知恵蔵が出ていた。それはポスターと同じ知恵蔵であった。吊り階段でその上に誰か
がいるという怖い映画だった。出来たらもう一度ゆっくりと見てみたいと思っています。

ある日学校で授業中になんか匂ってきた。あれっと思ったら隣の熊ちゃんが笑っている。何だろうと
思ってふと机の下に視線が行って見たら熊ちゃんの足元に水溜りが出来ていて彼の身体辺りから
ウンチの臭いがして来た。卓は「熊ちゃんヤッタナ」と思った。卓はすぐ先生に「先生 熊ちゃんが」
と告げる。先生は教壇から跳んできてすぐに熊ちゃんのズボンを脱がして教室の外へ彼と一緒に
出て行った。しばらくして熊ちゃんは腰に大きなタオルを巻いてニコニコとさっぱりした顔をして先生
と帰ってきた。彼のお漏らしは卓の知る限りその時だけだった。

卓はある夏の日校庭で1年生から3年生のこの校舎全員で校長先生のお話があるというので
背のちさい順に整列した。整列していると生徒の服装がよく分かった。女子はモンペと上は
まちまちの服装だが新しいものは誰一人着てはいない。 むしろ肘とかにきれいにつぎを当てて
ある。頭はおかっぱでさっぱりしていてみんな清楚<せいそ>であった。快晴でとても暑い日で
皆で聞き始めた。

しばらく聴いていると卓の隣りの列の斜め前の生徒がゆっくりと立っているまま後ろへと倒れた。
すぐ後ろの生徒が身体を支えた。卓は思った。「あー誰かが倒れた」当時は朝も食べずに学校へ
来て給食を支給された。それも全部食べずに家に持ち帰って家族に分配していた。卓も暑いなー
と感じていたがその倒れた生徒を見ていて急に目の前が真っ赤になるやいなや今度は真っ暗に
なってそのまま「あー」と思った途端卓も後ろへ倒れた。その後は分からない。気が付くと職員室の
ベッドに足を高くして寝かされていた。先生が「あー気が付いた」と言っていたのが聞こえた。

後で分かったことにその時倒れた生徒は10人ぐらいに達したとのことで校長先生のお話は取りやめ
となった。医務室は倒れた生徒でいっぱいであった。熊ちゃんは倒れなかったみたいだ。さてこの校舎
は3年生までで4年生になると町の中央にあるもっと大きい学校に変わる。3年生の終わり3月頃か
3年生全員が新たに変わる校舎へ行った。

卓は熊ちゃんと一緒に新校舎へ行った。そこで皆並んで先生から4月からのクラスと担任の先生の
紹介を受ける予定であった。沢山の生徒の名前を一人ずつ読み上げられクラスが決まって行った。
卓と熊ちゃんは未だ呼ばれていないのに何か次の報告事項に入っていくではないか。
卓は一瞬あせった。 熊ちゃんに「呼ばれた?」と確かめた。「ううん」と熊ちゃんが首を横に振った。
「やっぱり」卓はすぐ大きい声で「先生 熊ちゃんと僕は呼ばれていません」倉田先生があわてて
読み上げた先生のところへよっていって何か黒い大きいフアイルをひろげながら相談をしだした。
その結果「二人は4年6組になります」と最後に読み上げられた。卓は安心した。卓は言った
「熊ちゃんいいね」熊ちゃんはニコニコしながらうなずき笑っていた。

4月になり八鶴湖の桜は満開になった。新学期が始まる。卓は4年生になった。決められた4年
6組に登校をしだした。新しい担任の先生にも会った。若い女の先生だ。洋服も靴も髪型も
新しい。まるで兵士と町を歩いていたおねいさん達みたいだ。いつも日あたりのよい窓を背にして
横から生徒達を見ていた。初めて教壇に立ったようだった。若い男の先生がよくクラスに授業中
なのに現れ入って来た。先生はニッコリして教室へ迎え入れていた。先生は生徒を横から視ながら
廊下を見ていたのか。

学校が始まって1週間がたち10日経っても熊ちゃんは現れない。お花見も終わったのに熊ちゃん
は学校に来ない。「どうしたんだろう」と卓は心配になった。卓には定かでなかった。卓はそのこと
を新しい先生に聞けなっかた。先生は熊ちゃんのことは何も言わない。そうこうしている間に誰かが
言っているのを耳にした。「熊ちゃんが病気で死んでしまった」と。

その後50年が経過した。卓は還暦を過ぎた。あの母ちゃんは父ちゃんと丘の麓の竹やぶを
背にした日あたりのよい墓地の一角に眠っている。

卓は今「取手」に住んでいる。真向かいの家のおじさんは卓と同じぐらいの年恰好である。
毎日というぐらい外で会う。 背丈は低く筋肉質でいつもお孫さんを連れて自転車に乗せたり
散歩をしている。日焼けして顔はやや黒い。卓と逢(あ)うと必ず大きい声で50年来の知り合い
のようにニッコリしながら「こんにちは」とあちらから元気に声をかけてくる。その顔は
あの熊ちゃん家へ行った時のあの食堂のお父さんかおじいさんかにそっくりである。 

それは卓には再び熊ちゃんに会ったような気がする。また卓は自分が熊ちゃんと同じように
なってきたんではないかと感じている。



鍋島卓 作
5月 8日2004年
5月12日2004年 改定