典ちゃんのこと


石川県桶戸から中学を出て千葉の東金に来た。父がやっていた風呂屋を手助けに無邪気で
大きい声でしゃべる天真爛漫な女性であった。確かつずら1つに身の回りの全部を入れ込んで
来た。嫌味の無い石川県訛りで生きているのが楽しいとばかり何時もニコニコしてしゃべっていた。
多分田舎の畑の道を草履を履いて思いっきり走りまあって居たのだろ。何も押さえつけるものは
無い。春の畑のこんもりした土のふくらみと温もりとを持っていた。

典ちゃんが来る前に確かおばさんが石川県から訪ねてきた。多分典ちゃんのことだったのだろう。
私の両親がどんな話をしたか分からないけれど数日して石川へ帰るのに父が私に千葉まで
送っていけと命じた。私は東金から千葉の高校へ通っていたのでわけも無い。

途中でおばさんが手洗いに行きたいというので千葉駅の一つ手前の駅で降りた。
ホームに男女共用のトイレへ案内した。女用のドアの方へ行くかと思いきや男用の小便の
レーンの溝に尻をむけ腰を立てたまま着物を裾からひょいと腰までまくりあげてそのままシャー
とやりだした。私は一瞬たじろいだがとめようが無い。ガードマンよろしく他の人が来るのを
阻止せんと反対を見ながらたたずむ。ありがとよといわれて電車を待つ。
千葉に着いてわかれる。

典ちゃんはどのくらい東金に居たのか覚えていないが姉が嫁いでいる千葉の五井の風呂や
へ手伝いに向かうことになった。出発の日に典ちゃんは叔父さん、叔母さん、あに(兄)さん
それでは行ってきます。ありがとうのきゃ。皆さんお元気でのきゃ。来たときと同じように
平然とつずらを背負って五井へ向かった。

それから元気にやっているようであった。突然ある日電話があり典ちゃんが肺炎で入院したと。
数日して典ちゃんが亡くなった言う悲報が飛び込んできた。それを聞き家族みんなが唖然とし
愕然とした。

父は言った。一体全体五井はどうなっているんだ。政子は何をやってんだ。そもそも五井の
おやじは姉の政子に暴力を振るっていた。その度に姉から父に電話があり何とかもち直していた。
今度も典ちゃんが風邪をおして働いていたのだろう。普通休ませるのが常識であろう。もし姉が
亭主の暴力を恐れて何もしなかったとすると救いの無い姉でありその後亭主が石川県に寄付を
しようとあの暖かい何でも育つふんわりとした畑は帰ってこない。その亭主は数年後脳の病気を
患い錯乱状態で死亡した。姉は2人の息子夫婦達とは一緒に住まず一人マンション住まいを
している。

私もその後会社勤めをした。その会社で部長職をしていたとき2人の新入事務員をアサイン
された。一人は細面で痩せ型の良く笑う事務員であった。片や丸顔のやや小太りな女性で
あった。どっちかというと痩せ型の良く笑う方が目立った。しかし丸顔の方が仕事を落ち着いて
しっかりとやっていたようだ。

丸顔は夏に旅行に行く為1週間休暇を下さいと届けを出してきた。何処へ行くのと私は聞いた。
彼女は石川県ですとこたえた。石川のどこ?と私は聞いた。すると輪島ですと答えた。
私は何の躊躇もなく輪島に行ったらキリコのミニチュアを買ってきてくれない?と聞いた。
お金は払いますからと言った。





彼女は土産を持って帰ってきた 「これ何処で買ったの?」 「はい輪島にキリコ会館というのが
ありましたのでそこで買いました」 私はあらためて聞いた 「何で輪島へ行ったの?」 「はい父は
石川の出身でかつ銭湯とも関係が深かったんです」 「銭湯は石川や富山の出身の人が多いよね」
「はい。近くへ来たら一度家にいらっして下さい。父も喜ぶと思います」。 しかし訪問することは
無かった。その後更に20年経った。

今、典ちゃんのことを書いていて急に胸がつかえだした。え!あれ!もしかしたら彼女は典ちゃん
の生まれ変わりではなかったか? 彼女は何時も私の顔を見て私のこと未だ分かんない?と
語っていた様だった。

典ちゃんはあの叔母さんの畑の一角に昔からある一族の墓地に皆で眠っている。

鍋島卓 作
1月 5日2004年(小寒)
1月20日2004年 改定